2016年2月9日火曜日

日記



(1)
なんとか進み始めているのだろうか。
取り敢えず、明日、どうなるか。


(2) 最近読んだ本。

「いとしの精神科 患者も医者もみんなヘン」(はやしまつり、河出書房新社)
精神疾患持ち(メンヘラ)の著者が、自身の奮闘を振り返るコミックエッセイ。

精神疾患コミックエッセイの草分け「ツレうつ」は、作者のツレがうつになっていた様子を描いていましたが、この本は著者本人がODやリストカットの常習者。
由緒正しき王道の「メンヘラ」というものです。
原因は自己の無価値観、見捨てられ不安。
自分で自分を要らないと思っちゃうのです。
だけど医師や薬の助けを借りて原因に気付き、最後は「自分を必要として生きていきたい」と思えるようになる。
この長いトンネルの終わりまでを、グロテスクな部分もまるごと追体験させてくれます。

思うに、「病院」はそれだけでとても大切な施設です。
誰も助けてくれない・・・と絶望している時に目に入るのは、病院という公共機関なんです。
よくも悪くもサービスなので、こんな自分も人として扱ってくれるかも・・・と思うのです。
なぜ家族や友人に相談出来ないか。それは彼らが個人であり、大切な繋がりの為、「ここで思い通りに受け入れられない事実に直面したら、もう希望がない」と直感しているからかと思います。
人に必要とされない(と思ってしまっている)人間も受け入れてくれるのが、公共機関なんです。
そこにいる医師が、また当人と大切な人をつなぐために、頑張ってくれているのです。

この作品に描かれていることが、僕自身の体験に重なります。
僕は鬱病と診断されたことはありませんが、鬱状態が続いていた自覚はあるし、性格や価値判断が他者依存的で、特に社会に出てから常に不安を感じて生きていました。
何度か病院に行きました。
実際、初めの病院でのカウンセリングにしっかり通うべきでしたが・・・お金がなくて続けられませんでした。(これまで誰にも指摘されなかった「認知の歪み」をしっかり教えてくれた臨床心理士さんでした。)
心の深刻さを上手く伝えることができず、親に通院用のお金を送ってもらうことも、実家に帰らせて欲しいとも言えず、アルバイトをはじめるという状況。社会と同列になる為に一人で頑張らなくちゃと息巻く。がんばりの基準は「一般人」という架空の他人。終わりが見えず、どう考えても悪化の道を辿る。

そんな風に空回りをしている人、他にもいたんだと思い、自分の過去の「病気」を受け入れる気持ちになりました。


ライトなエッセイマンガ風ですが、人によっては拒絶したいほどの怖さを感じる本だと思います。また、ただ「イタい」だけに見えて気持ち悪いかもしれません。
それでも出版してくれたこと、また手に取ってもらうべく図書館が購入していたことに感謝しています。


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