2016年2月5日金曜日

日記



(1)
自分から逃げていたら、自信を持てず、決まるものも決まらないと、おそらくそれだけの話。
無節操に応募書類を出したら後悔する。
実力と、頑固な願い、直感を受け入れることだ。
エネルギーが出てくる。
仕事したいな。


(2)
前の職場にいた時に起こった、喉のつかえ感が治らない。
耳鼻咽喉科で検査してもらったところ喉はなんともなく、気にしないこと、と言われたのだけど、受診からひと月たって治ってくれる訳でもなかった。
いま「半夏厚朴湯」という漢方を試している。
心因性の喉のつかえ感に効くらしい。どうなるかな。
ただ、胃が荒れていて、胃液の逆流でつかえることもあるとのこと。
とにかく、喋るのに詰まって困るので、なんとかなってくれることを願っている。


(3)
最近読んだ本。

「『暮しの手帖』とわたし」(大橋鎭子、暮しの手帖社)

編集者魂。花森安治を立てながらも、自らも情熱の人であったことが伝わってくる本。
戦後の暮しをよくしたいという強い思いで提案した企画が、型破りでありながら読者のニーズに確かに応えたからこそ、「暮しの手帖」は大きく部数を伸ばしたのだと思う。
広告を取らぬまま部数を伸ばせたことは、独自の発言力を持つことにつながり、商品テスト企画などに巻き込まれるように、日本の各社の商品も質を上げることができたのではないか。
意義ある仕事をして生きる充実感を満面に受け取った。たくましさとはこういうことではないか。

今は「よい暮し」が浸透した結果、書き手や類似のメディアがたくさん現れた。たくさんの書き手をキュレーションする編集長として、「もの」「ていねい」な消費生活が好きな松浦弥太郎にバトンタッチされたのだろう。
今の暮しの手帖が伝えるのは「ていねいに暮す喜び」へと変化している。
戦後の焼け野原から築いてきた、安心安全な商品とサービス、それらが溢れるなかで、心のまなざしを育てていくこと。
それはまた、「これからずっと強いメッセージが要らない安心な生活を望んでいる」というメッセージのように思う。

こうして成熟していく時代と、見合った成長をしていく自分の雑誌を見届けていられる大橋さんは、それがとても嬉しいに違いない。


(余談)
「暮しの手帖」は、先月発売号より編集長が澤田康彦さんに変わった。これから、「ていねいに」にとってかわる軸を打ち出すのか。
もちろん、新しいものを見せてくれることが嬉しいけど、あえて何もしなくたっても、賛成出来る。
幸いにして同誌が好きな一家の旦那さんのようなので、「ku:nel」の二の舞になるなんてことは、なさそうだけど。

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