2015年7月17日金曜日

未病記

2010年10月、勤めていた写真館を辞めたあと、近隣の精神科に行った。
お金がなかったから、通う程でなく、たった2回の通院となったけれど、今思えば勇気出して頑張った。
ちょうど世の中に一人取り残された感じで、寂しいけれど、反発心ばかりがあって、誰にも頼れなかった。
病気に頼ろうと思った。鬱病とでも診断されれば、家族や大切な人に心配してもらえるって。
頑張らなくてもいいって。

医師からは「青春の悩み」と言われた。つまり病気との診断ではない。
カウンセリングを受けた臨床心理士からは、「認知の歪み」が酷い状態になっていると告げられた。
病気ではないけれど、生きていくのに支障があるだろうとのこと。
実際当時は、論理的な考え方が一切出来ないことに自分でも気づいていた。感情の暴走を止められなかった。

だから正直もっと通いたかった。正常な人間になりたかった。
だけど1回8000円は、なにも稼げない僕には不可能だった。
このことは、家族に話したっけか。

 ひとまず働かなくてはならないと、バイトを探した。
たまたま縁があり書店を長くやらせてもらうことができた。仲間とも一定の信頼感を築けて、うまくまわりはじめたと思っていた。
だけど根底の部分は、たぶん何も変わっていなかった。
誰か他人に認められなくては、社会で行きていけないと思っていた。

2013年良い年齢になってきてこれからのことを考える。正社員になれるのか当時の店長に相談してみる。
名目としては学歴不足、上に推薦するには難しいと言われた。
信頼していた店長に通告されたショックは大きかった。
一応だめなりにやってきたという自信さえ崩れ去った。
このとき僕は、どこかで今の自分を放棄して、「社会人」に生まれ変わらないといけないと思った。
僕が去ったあと、店長はオーバーワークで肺炎になってしまったと聞いた。申し訳ないという気持ちと、認めてもらえなかった恨みが交差した。

2014年2015年結局ふたつの仕事を辞めた。在職中心療内科に一度行った。薬は出せるけど出さないでがんばることもできる、とのことで、僕はがんばってみようと後者を選んだ。正解だったかはわからない。
様々な要因があったけど、 どちらも同じことなのだ。
針路と自信を失ったまま捨て鉢に生きたことで他人に迷惑をかけたんだ。
無理は続かない。


たぶん一番辛いのは母だと思う。
僕にはこういうとき、母しか頼れる人が居ない。連絡する。
だから申し訳ない気持ちになってしまう。
どこかへいかなくっちゃと思うのだ。家族の見ていないところで、元気にならなくちゃと。


2010年10月 あのとき、素直に実家に帰らせてくださいと言えれば、こんなにこじらせることはなかったんじゃないか。
 後悔がある。
この先、どうすればいいかさえ、今の自分はわからなくなってしまった。
そんなとき、どうすればいいんだろう?
ただ息をして、霞を喰って生きていられるわけでもない。
まだ捨てなきゃならない荷物がある感覚だ。
どうすれば生きていていい人間になれるか。償わなくちゃならないことが山ほどある。

それと同じく、自分を大切にしなきゃ生きていけないことを痛い程知った。
だけど、「大切にしたい自分」の形が、未だ見えない。
どれだけ、自分自身を無視して時間を送って来たのだろう。
いま闇雲にやっていることにOKを出せないでいる。

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